脳梗塞と囲碁
脳梗塞と囲碁
表谷泰彦
日本経済新聞で文化部や社会部の記者を務めた私は、後半の二十数年を囲碁将棋の担当記者として過ごし、平成十三年六月に満六十歳の定年を無事迎えた。ところがその二年後の九月、突如異変に見舞われる。
その日、横浜市栄区の碁会所で正午過ぎから席亭のSさんと碁を打っていた。いつもは接戦ながらわずかに分があるはずなのに、二局続けて全く良い所が無い完敗。「これは変だな」と思いつつ、三局目を始めた途端に、右手と右足にマヒが生じ、石を持てなくなった。Sさんの一一九番通報で鎌倉市内の病院に運ばれる破日に。診断は脳梗塞で即入院となった。幸い一ヶ月程で退院できたが、十一年後の今も右手、右足の不自由が続いている。
健康維持のため始めた草むしりや野菜づくりも、椅子に座っての左手だけの作業。碁や麻雀も然りで、今や一人前のサウスポーだ。ただペンと箸だけは左手では無理で、痛みとふるえをこらえて右手を使っている。パソコンは碁を打つ機械ぐらいに思うアナログ世代の私には、パソコンでの原稿は抵抗が大きすぎるのである。
発病後も日経で囲碁観戦記を書かせてもらっており、解説はすべて福井正明九段に頼み、原稿のチェックまでお願いしている。脳をやられた私が大過なく観戦記を続けてこられたのも福井先生あってのことと深く感謝している。
また、発病後小杉勝八段と親しくなり、五年ほど前からは月に一度、家内(七子局)ともども碁を打ってもらっている。「いくら考えてもいいですよ」との厚意に甘え、三子局で全力を注いで立ち向かうため、二時間以上かかることも珍らしくない。勝てるのは年に二局か三局しかないが、ヘトヘトになるまで力を出しきった碁は、負けても気分は爽快で、何よりの精神的リハビリになっている。年に数回、東京や横浜で福井、小杉両先生と一諸に呑むのは、私にとって至福の時なのである。
定期的に脳外科と内科の診療を受けているせいか、ヨタヨタ歩きの不自由さを別にすれば健康面での心配はない。酒もタバコも止めないのに、血液検査の数値も発病前より良いほどだ。これが正に一病息災なのだと思っている。
七十三歳まで馬齢を重ねてこれたのは、私の身を案じてくれる愚妻と二人の娘の存在、それに右半身の不自由さを忘れさせてくれる囲碁のおかげだろう。
囲碁三味を満喫した人生に思い残すことは無く、いつお迎えが来ても、と思っていた。ところが今年五歳と四歳になった孫の顔を見ると、せめて二人が小学校を卒業するまでは、との欲が出てくる。
煩悩からのがれられるのは、盤上に遊ぶ時だけなのか、と思う今日この頃である。