囲碁クラブ開設まで
囲碁クラブ開設まで
津田沼囲碁クラブ 藤崎三佐雄
私は兄弟が多かった。田舎にいて、東京で働くところがないか新聞を見ていたら、新聞販売店で募集があり、上京して住み込みで働いた。当時も苦学生は多く、そこで仲間たちに囲碁を教えてもらった。学校には囲碁部があり、部室に入りびたって打っていた。安保闘争の頃で、授業はよくサボった。卒業の頃は4、5級になっていた。
会社に入り、昼休みに二三局は打った。どんどん仲間を増やして、囲碁サークルを作った。
「君はなんのために会社に入ったのかね」と総務部長に注意された。相当にらまれていたようだ。
囲碁サークルは対外交流試合も活発にしていた。当時は企業も労務対策として文化厚生娯楽費を出しており、どこの企業にも囲碁サークルがあったようだ。毎月のように日本棋院からプ口棋士に来てもらったが、幹事の私は指導を受けず、ポケットマネーで夜のおもてなしの役目だった。大田区体育館での日中親善大会に出場したこともある。
会社をやめたら囲碁クラブを開こうと思っていた。日本が世界アマ選手権戦で中国に敗れたとき、周囲の反対を押しきり、津田沼にクラブをオープンした。皆様の御支援をいただきながら、もう三十三年も続けることができた。
全碁協の前身東京都囲碁同業組合にも加盟していたが、今度は全国的な組織を目指すという。これから全碁協でどれだけ力になれるか。そんな大それたことより、せめて足を引っ張らないようにしたい、と思っているところです。