日中スーパー囲碁(1)
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
「日中スーパー囲碁」が誕生した昭和58年当時は、まだ国際囲碁棋戦はありませんでした。僅かに読売新聞が「日中囲碁交流」を行っていましたが、あくまでも”交流”でした。そんな時代に日中対決を実現させたのは、日本棋院の月刊誌「囲碁クラブ」でした。何かインパクトのある企画をーという中で生まれたのです。当時、日中の棋力差は、日本側では「中国の定先でもー」というくらいの認識でした。
両軍8名による団体勝ち抜き戦で、日本の上位陣は主将・藤沢秀行名誉棋聖、副将・加藤正夫王座、三将・小林光一十段という錚々たるメンバーでした。藤沢師はこの年6連覇中だった棋聖位を趙治勲に奪われ、直後に胃ガンの大手術をしたばかりでした。とても国際棋戦を打てる状況ではありませんでしたが、師は中国囲碁界の尊師的存在で欠かせません。「秀行先生には、対局して頂くことはありませんからー」という構想でスタートしました。
これが思わぬ展開を見せ、加藤、小林両氏が頭を丸める事件になったのです。(つづく)
第7回 28年1月5日 酒巻忠雄(本因坊秀芳囲碁さろん)