外から見た全碁恊 (酒巻)
昭和48年、第12期旧名人戦七番勝負は、稀に見る大激戦であった。
25歳の挑戦者・石田芳夫本因坊が3連勝で王手を掛けると、林海峰名人は2枚腰の粘りで3連勝を返す。日本棋院の2階ホールで行われた最終局の解説会には600名を超えるファンが詰めかける熱気であった。
また日本一の繁華街・新宿の歌舞伎町には、最盛期10件もの碁会所がひしめいていたという。
あれから半世紀近く経ち、現在も七番勝負の解説会は日本棋院で行われているが、足を運ぶファンは往時の一割程度しかない。インターネットの普及など情報環境が大きく変わったとはいえ、寂しい限りである。
また、歌舞伎町の碁会所は、わずかに一軒が残って孤軍奮闘しているのみだ。
囲碁ファンの衰退に歩調を合わせるように、プロの世界も中国・韓国の躍進の前に、後塵を拝していることはご承知のとおり。
このように衰退を続けている囲碁界に一石を投じた「全碁恊」の設立は、まさに時宜を得た快挙といえよう。
これまで独立独歩であった各碁会所が、横の繋がりを持って囲碁の復興に踏み出すことは、意義深いことであろう。また既に実施されている「統一ランキング大会」は、囲碁ファンの連帯感を高めるためにも有効な一石であることは間違いない。是非、全国規模に広がって欲しい。
菊池康郎理事長が「日本の碁」創刊号で述べられているように、『一歩一歩着実に』大輪の花を咲かせることを期待したい。
私も仲間の一員として、微力ながら応援を続けたい。
酒巻 忠雄 (本因坊秀芳囲碁さろん)